竹取物語を二つの資料と比較し、物語のより原型に近いと思われる形が示されている。また、省略説
、中国発祥説の否定もなされている。
資料
・今昔物語
基本は竹取物語と同じだが、求婚者は3人であり、条件とする宝物も違う。不死の薬の描写はない
・古今和歌集序聞書三流抄
少々異なり、竹の中にあった光る鶯の卵から現れたこと
・求婚者の話は記されておらず、帝に召され3年暮らしたのち自分が天女であることを告げ鏡を残して消えたことが記されている。また、この鏡を胸に抱え寝たところかぐや姫へ焦がれる気持ちで鏡が燃え、火が消えなかったので富士山の山頂に置いた
・それでも煙は絶えることがなかったと記されている。
共通点・異点比較
○は竹取物語に同じ
竹取物語 | 今昔物語 | 三流抄 |
竹の中に女児 | ○ | 鶯の卵から女性 |
異状な成長 | ○ | 最初から成人 |
求婚難題 | 求婚者は3人・条件も異なる | 記述無 |
天皇の求婚 | ○ | ○ |
姫の昇天 | ○ | ○ |
不死の薬を富士山で焼く | 記述無 | 煙は鏡の煙 |
物語の原型と思われるもの
翁が竹の中からみつけた鶯の卵は美女となった。翁は彼女をかぐや姫と名付けた。彼女は大層美しく、
求婚する者が3人現れるが、かぐや姫は彼らそれぞれに結婚の条件を出した。求婚者たちは条件を達成
しようとするもそれは難しく、あるものは災難にあい、ある者は命からがら、命を落とした者もいた。
実はかぐや姫は天女であり、最後は月の迎えが来て月に帰る(昇天)
説の否定の記述
*今昔が竹取の省略版説*
・記述された時代が、資料の中では竹取物語が一番古いこともあり 今昔物語の求婚者3人が竹取物語
の求婚者5人の省略版である説があがった
- 竹取物語の中、求婚者の3人目のところで「もう一人には火鼠の皮衣を…」という風な記述
「もう一人」という表現が出てくるということから本来3人だったのではないかと推測される
- 3という数字に関して*かぐや姫は三寸* *三月三日で成長* *成人式は3日間*など3という数字
の多い物語であることから求婚者も3人だったのではないかと推測できる。
- 求婚者が5人になり、5種の宝物が条件と出されたのは当時の中国文化が日本にはいってきた影響だ
と考えられる。
このことから、竹取物語の前に、さらに元になる「かぐや姫」があったのではないかと思われる。
*中国発祥説*
・『斑竹姑娘』という書物がチベット山間の村で見つかる。ここから、中国がルーツなのではないかと
いう学説が上がった。
- 実際は戦時中侵略にきた日本兵が話したかぐや姫が伝聞され記述されていた。ルーツは日本にある
物語の祖とも言われている「かぐや姫」
天女、竹から生まれた女児、など内容は非現実のファンタジーだが、どうにもその物語として伝承されているにしては、昔から知られすぎている。いくら古いとしても、情報の届かない、旅人も訪れることがめったにない僻地の村まで伝わっているというのは謎というほかない。
この謎に説明を付けるのに、一つの非現実的な仮説を立てる。というのも、「かぐや姫」の内容は史実・現実だということ、全国各地のいずれもばらばらな時代に「かぐや姫」が発生していたということだ。
伝承の発生が一か所であれば、発生源から遠くまで届くのに時間がかかるし、物語が別物と化してしまう。その点、これなら各地で起きた、似た別の現象である「かぐや姫」が、同じ物語として扱われていると説明がつく。しかし、流石に「かぐや姫」の内容が内容なので、事実とは主張しがたい。やはり、謎は謎のままだ。
あとがき
「かぐや姫」という「物語」は、人外の姫「かぐや姫」が月に帰ったところで大筋の話は終わります。
どうして帰らねばならないのか、作中でそれは語られません。確かに「人外だから」で理由はつきそうですが、元から帰る予定だったなら求婚者たちにあんな難題は出さないだろうと思うのです。…かぐや姫が悪女だったから、なんていう無粋な理由づけは、いまだけはないものとして。
求婚者に難題を出したのには理由があると僕は推測しています。その理由についてはまだ研究が足りないのでここには記述しませんが、後々発表したいと思うので、興味のある方はもう少し待って居てください。
なかなか考察となると、僕は夢見がちで妄想癖の気があるので(龍宮教授にもそれでよく叱られていました)なんともファンタジックな内容になってしまったように思います。創作物を現実のものとして扱ってはいけない、そうは思うのですがどうしても、だめですね。その『創作物である』という大前提を疑ってしまうのです。許してください。こんな荒唐無稽で支離滅裂な論者の僕に本を書いてくれなどと依頼してくれた株式会社ルルイエワークスさんには感謝してもしきれません。ありがとう。こんなものを龍宮教授の後釜研究として世に発表してしまって、龍宮教授には頭が上がりません。
では、機会があれば別のところで。さようなら。
藤原 麻呂太郎